闇がなければ光は存在せず、また光がなければ闇は存在できない。
人々がイマジネーションを忘れない限り、光は消えることはない。

彼らの旅は続いてく。どこまでも…

<続く>



・到着駅→失意のライト
闇に飲まれ、己の無力にさいなまれるライトのもとに4人が…
「全部忘れて子供になるぐらいなら、全部忘れないで大人のままを選ぶ」という彼らの決意は悲壮感にあふれている。
でも、悲しさだけじゃないのは今まで培った多くの思い出があるからかな…
闇の力に飲まれたライトが4人の想いで自分を取り戻す流れは、以前ゼットが初めて登場した時に、ライトが4人に必死に呼びかけて記憶を取り戻したときの対比になってるんじゃないかな。
一番最初の時点から、他の4人とはちょっと違っていたライトは、こうやって一人で何かを背負わざるを得ない運命は決まっていたんだと思う。
始まりは偶然だけど、ライトとゼットの因縁という必然によってライトは闇に飲まれた。
人は闇に飲まれることもあるけど、ライトのように仲間がいれば光を取り戻すことができる…と、言うことだったんじゃないのかな。

ライトのお母さんが「もう一人のために」と照らした灯籠が、レインボーラインの線路になる演出は意外だった。
街がライトを忘れさせても、人の心の中にはうっすらと記憶が残って繋がっているというのは、なんとなく電王っぽい。
「記憶」だけじゃないつながりが光を呼ぶというのは、ある意味ゼットにとっても救いになるものだったのかも…
ゼットの見た光は灯籠の光だった…という訳ではなく、ゼットは多分ライト自身をキラキラとして認識したんだと思う。
キラキラはライト自身が持っていた「誰かを想う心」だったんじゃないかな。
ライトのお母さんが置いた灯籠の光は、まさに曖昧な記憶にある「誰か」を思う光だったから、ゼットは同じキラキラだと認識したのだと思う。
思えばこれまでもキラキラしていた人は、常に誰かのことを想っていた。
ゼットがキラキラを手に入れられるとしたら、それは(安っぽい言葉ではあるが)愛を知った時なのだろう。

・これが明の生きる道
最初から最後までなぜか因縁深かったネロ男爵と明。良く戦ってた。
結局決着はつかなかったなー。でもそれはそれでよかったんだと思う。
レインボーラインが死に場所、と常々言っていた明が、最後の最後で死にたがりを卒業するシーンはグッと来た。
これまでの「ここが俺の死に場所だ」が良く効いた「ここが俺の生きる場所だ」って台詞だったな!!
カッコいいぜ明!男だぜ明!!
闇をはらって虹のかかったレインボーラインの粋な演出、良かったね。
それにしても闇の巨獣を烈車で粉砕wwwちょwww
巨大戦がないからってダイナミックすぎるぞwww

そういえば、巨大戦がないからってCM提供で「烈車戦隊!トッキュウジャー!」をやっていたロボたち。
本編であれやるかと思ってたら、本編の活躍がないからあれやってたのかよ!!w

・最後の…変身!
ああ…6人は成長したな…。キャラクターとしても、役者としても。
素面名乗りは最後の花道だね!!VS映画でもやってた気がするけどw
あのシーンからちょっとの間は、中身が役者さんだったんでしょうか?
あと明のダイナミックな「6」ワロタw最後の最後で主張するんじゃないw

・始まりの場所
最後の戦いは始まりの場所で!!
懐かしい…一年前もこの場所で同じ時間に変身してたなぁ…
闇が払われ、弱体化したネロとモルクに総力を尽くして相対するトッキュウジャー。
トドメは?と思ったら、まさかの力を分け与えるパターンでビックリ。
ネロとモルクは、最初から最後まで忠臣だった。
個人的には良い部下だったなぁ、二人とも、としみじみしてしまった。
結構皇帝が自由だったのに、最期までついていってたもんな。
ゼットの「最後の最後にキラキラするんじゃねえ…」って台詞が切なかった。
そもそも闇はもともとひとつで、そこから分かれて生まれたのがネロたちなんだろうから、一つになることは可能なんだろうね。
自分を思う部下の力を使い、たった一人になって、ゼットはあの時何を考えていたんだろうか…

始まりの場所で、レンケツバズーカ初・ユウドウブレイカー合体バージョン!イイネ!
始まったころよりも、仲間の結束は強く、絆も増え、戦う新たな力を得ている…というのが、想い出と対比されて感慨深い。
こういう演出嫌いじゃないわ!

・トッキュウレインボー1号
七色の乗り換え!!!なるほど、このために明の乗り換えはとっておかれてたのか!
そういえば6号には乗り換えられない、というのは作中で明言されてたけど、なぜかは明言されなかった。
アレはもしかしたら、明が元シャドーであるという遠慮からくるイマジネーションの連結不足だったのかもしれない。
明がハイパーレッシャーを使えるようになったころから、もうたぶん乗り換えは可能になってたんじゃないかなー?
結局その辺はあいまいだったけど、6人の色とハイパーレッシャーでレインボーという展開がすごく納得したので、まあ良しとしよう。
ゼットとの最後の対決はライトがメインというのは、これまでの流れをくむ展開だったから良かった。

ライト「この距離ならバリアは張れないな!」
ゼロ距離射撃でもうその言葉しか出てこないってやっぱ橘さん凄すぎィ!!w

・闇は闇へ
グリッタちゃんとゼットは、再び闇へと帰っていった…
回収作業があっさりで、別れの言葉もほとんどなかったから凄い淡白だった気がする。

闇は光がなければ存在できない。光もまた、闇がなければ存在できない…
ゼットの存在は矛盾はしていなかった。ただ、あまりに光を求めすぎたのかもしれない。
いつかゼットは自分の中に光を見つけることができるだろうか…
最後にグリッタが皇帝に手を差し伸べるところが救いだったかな。

結局、シャドー対レインボーラインの戦いはダイレンジャーみたいなもん、という結末なのかね?
終わりがないのが終わりというか、東洋思想的な非二元論というか。
つい先日ダイレンジャー配信が終わってからのこれだったから「これはある意味孫レンジャー」と妙に納得してしまったw

あと、グリッタちゃんの作戦云々でコメントされてたけど、もともとグリッタはあの作戦で城を闇に戻そうとしてたのよね。
グリッタ自身も闇に還ることを良しとしていた(というかそうでないとグリッタは光の中では生きられない)から、あの作戦は「城が移動して元の闇深くへ戻る」という時点で基本は成功していたのではないかと思う。
ただ、闇に戻る城の中までトッキュウジャーがフォローするっていうのは、グリッタの言う「誰も消えない方法」じゃないわけで(トッキュウジャーが闇に飲まれるから)、トッキュウジャーが陽動している間にグリッタが城を移動させる→そのあとは分かれるしかない(必然的にグリッタは自衛しなければならない)という割と難しいミッションだったような。
まあその危険性は重々承知でグリッタちゃんはその作戦を提示したと思うんだけどね。
自分が闇側の人間だってことはわかってるわけで、光側の人間と協力して「棲み分け」しましょうって話だったんだと思うし。
私個人としては納得してましたけども、見方によっては確かに投げっぱなしに見えたかもしれんね。

・届いた手紙
子供になってた時は、そもそも手紙の存在自体が「なかったこと」にされていたのだろうか?
大人として生きていくしかないと思った矢先に家族が迎えに来るっていうのは、ご都合主義の極みなんだけど良かったなぁ~と思ってしまった。
だって、ライトたちはまだ子供なわけで、彼ら子供が背負うには大きすぎる負担だもんな。
子供がどんな姿になっても受け入れるという家族の温かさが起こした奇跡ということで、ご都合主義でもここはひとつ温かく祝福したい。
良かったねぇ…

・線路は続くよどこまでも
イマジネーションがある限り、ライトたちのすぐ隣をレインボーラインは走り続ける。
日常に戻ったライトたちの記憶に、レインボーラインの記憶はしっかり残っていた。
そこで得た大事な経験と想い出と人とのつながりを持って、大きくなっていくライトたち。
彼らの未来がどんなふうになっているのか…それはVシネまでのお楽しみだね!!


長い旅を終え、終点に到着したトッキュウジャー。
一年間お疲れ様&ありがとう!
Vシネも楽しみにしてます!



・個人的に終了に寄せて
個人的にはライトたちがそもそも子供という設定は斬新だったけど、どうも子供たちが必死に戦ってる姿を見守るだけしかないというのは、視聴している自分の方の悲壮感が高まってしまったなーとは思う。
大人が大勢見守っている中で成長していく子供たち(メガレンジャーみたいな。まあアレ高校生だけど)は応援できるんだけど、子供が率先して前線に出るのを見守るしかないというのは、大人として申し訳ない気持ちになってしまった。
あと大人のキャストなのに中身は子供、という印象がぬぐえず、普通よりもhshsできないという理性のブレーキが…w
すまんな、俺はショタコンじゃないんだ、とつい思ってしまったw
でもトカッチは見た目も中身も好きだったなぁ~。
私がキャラ萌え感想が下手くそだから伝わってないかもしんないけど、トカッチ大好きでした。
好き!結婚して!!とか思ってましたけど、やっぱり子供だったのでその辺はね?(大人の対応)

あとゼットの「闇の存在ながら光を求める」というジレンマを抱えたキャラクター性は好きだった。
凄い大昔だけど『天地無用』というアニメの映画版で、これまた似たような闇のキャラが光のキャラに恋をして消滅するという悲恋を扱ったものがあったんだけども、その印象が色濃く残っているせいか、ゼットの扱いは何とも切なく、胸を打つものがあったなぁ。
Vシネでも復活予定かも知れないけど、その時はもうちょっと幸せになっていてほしい。

設定がちょっと変わってたせいか、色々問題点はあったのかもしれないけど、私はおおむね満足でした。
前作のキョウリュウジャーでの不満点だった仲間の扱いについて、きちんと戦隊らしい展開と仲間を描く展開があったというだけでかなり救われた。
あのへんは流石の靖子節って感じだったな。実際に涙することも何度かあったし。
列車というモチーフをうまく使えていたかどうか?という点には確かに疑問は残るけど、新しいモチーフに挑戦したという点は評価すべき点だと思う。
良くも悪くも戦隊的&靖子節という作品だったんじゃないですかね。
ある意味、同時放送だったライダーと対比してニチアサで救いになっていたということもあり、ありがたい存在だったなぁという印象が大きいです。

あ、あと最後に!おかず!顔取れよ!!w
あとチケット君は一体何だったんだよ!というのは、永遠の謎としておこうw
それと、公式のモルクとネロと一緒に写ってるゼットの写真クソワロタw
ピースとハゲwwww


※コメント返答は終了しました。
皆様の様々なコメントをいただくことで、自分の中で消化してスルーしていた物事を文章にするという形で、もう一度トッキュウジャーという作品を見直すことができた思いです。
あまり的確な返答ができてないのではという心配もありますが、これにて一端終了と致します。
ありがとうございました!


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