侍戦隊シンケンジャー、大団円!
最後の最後でとんでもない落とし穴が待ち受けていたけど、それを乗り越える六人の姿は涙なくしては見られなかった。
すっきりきれいにまとまっていて、本当にクオリティの高い作品でした。
最初から最後まで、思う存分楽しませてくれた作品だったと思います。

<続く>

・正月から修羅場
賑やかで楽しい正月が、十八代目当主・薫の登場で一変…
アクマロ倒してやったね!とか思ってた翌週(翌々週?)にこれだよ!
それまで茉子が疑問に思っていた「俺は違う」という言葉も、当初家臣たちと距離を置こうとしていたことも、総ての殿の行動に合点がいく展開でしたね。
地味に最初の方から「影武者」であるという描写は、シンケンレッドを受け継ぐシーンで描写されてたんだなってことに気付きました。
志葉家に襲い掛かったドウコクに封印の文字を使って息絶えた先代レッド(メガブルー!)のシーンと、焼ける屋敷の中で折神を渡す丈留父(OREジャーナル)の描写って合致しないんですもんね。
当時どんなふうに予想されてたのかは知らないんですが、「たっくんはオルフェノクでした」と同じぐらい衝撃でした。
マジかよ!根底から覆るじゃん!!っていう。
それまで「殿は殿であるがゆえに殿である」っていう、丈留の「殿」という立場がこの作品の基本構造、土台だったわけで、そこが違うよと言われたら、そこから出発している他メンバーの行動がすべて水泡と期すわけですよね。
侍だから当主に従わなければならない=当主は丈留(殿)である=丈留が殿だからついていこうと思ったという構造が否定され、一年間の積み重ねが一気に瓦解していくというのは、丈留本人だけでなく、他の侍たちにも非常につらい状況だったと思います。
「侍」という立場に縛られている以上、シンケンジャーは様々な試練があっても6人がチームとして崩壊するような危機はなかったわけで、それをこの最後の最後に持ってくるところが凄いなと思いました。

・何もない丈留
「殿」であることを強要されたせいか、「殿」であることが自分のアイデンティティとなっていた丈留が自身の存在そのものに悩み、即物的な戦いに身を投じていく姿は見ていて気の毒でした。
十臓が丈留の剣に惹かれたのも、丈留が自分と同じように空虚だったからなんだなぁと。
物語の中で、丈留自身は「殿」という完成された立場にある以上、基本的に成長するという描写がなかったんですよね。心を開くという描写はありましたが、丈留自身が根底から成長することはあまりなかった。
それが最後にドカンとやってきたようなもんで、そりゃあ外道ギリギリに落ちて舞い戻ってくるぐらいの振れ幅がないと、描写できないんだろうなと納得しました。
あと、エンディングがずっと殿やみんなを応援してたのが良かったです。
「無駄じゃないよ全部、つまずいたって 涙はきっと未来、強さに変身」っていう2番の歌詞は、このためにあったんだなと。「やっぱ藤林聖子預言者やな…」って納得してましたw
最終的に1番の歌詞で〆てくれるところもよかったです。
歌詞の1番と2番を使い分ける演出は、シャリバンでもたびたびありましたね。良い演出だと思います。

・侍として
千明、茉子、ことはの三人は、侍であることを自覚しながらも現代っ子な部分があったから、丈留のもとに自らの責務(=姫を守る)を投げ捨ててでも走れたんですよね。
でもそれは、誰よりも侍として生きていた流ノ介にはできなかった。
ここで安易に4人が丈留のもとに走らなかったのが、この作品のすごいところだなと感じました。
「侍」という役目に縛られていたのは、丈留だけではなく流ノ介もそうでした。
殿と家臣という立場は違えど、二人は侍であることが自分のアイデンティティになっていたから、今回の影武者騒動で大きく揺らいでいたんだと思います。
ここで4人が4人とも丈留のために走ってしまえば、それまで築いてきた「侍」を完全に否定してしまうと思うんですよね。
侍としての流ノ介の心模様を描くことで、志葉家も、丈留個人も、「侍戦隊」というタイトルも裏切らない展開で感心しました。
カジキ折神回で流ノ介が「家が決めたからではなく、自分が決めたから殿についていく」という決意を、あの時の黒子さんが思い出させるシーンはグッときましたね。
まさか出てくるとは思いませんでしたw
黒子として「家」に仕えている以上、彼らもまた殿と仰いだ丈留のもとで働きたいと思っているだろうに、それはできないもどかしさを抱えている。
黒子たちも流ノ介の気持ちが痛いほどよくわかるからこそ、影でなければならない黒子が自己主張をするというのが、流ノ介の状態とうまくリンクしていたと思います。
侍としての使命をずっと守ってきた流ノ介がそれを振り切るというのは、この物語がギミックとして旧態依然とした「家」を描いていながら、まさに人と人の「絆」を描いていたのだという結論であったように思います。

・志葉家十八代目当主
薫のポジションは結構気の毒でしたが、最終的に報われて良かったです。
ともすれば悪者の立場を、丹波という御付きを使って和らげることで受け入れやすくするというのも上手かったですね。
「うるさい」→ハリセンの流れは、シリアスな中で唯一の笑いどころでよかったですw
「姫」として丈留の座を奪ったことに後悔しつつ、自分の地位を惜しまずに譲り渡す度量は、確かに当主として素晴らしいものでした。
姫を受け入れるあたりの流れでは、「侍ではない」と否定された源太が率先して動くあたりも、見ていて心地のいい流れでしたね。
「薫のため」と視野狭窄になっていた丹波自身も、最終的には丈留たちを受け入れ、ただの悪者で終わらなくてよかったです。
しかし丈留を養子にするという離れ技を使うとは…!
シンケンジャーはずっと「血筋」の話をしてきたのに、ここにきて血筋を全否定というダイナミックな展開には、驚くと同時に「やるじゃねえか!」とおもいましたね。
それを当主本人が行うというのが、すごく男前な展開でした。
殿の存在についてもそうなんですが、一年近くかけて築き上げてきたことを全部ひっくり返して、それでもきちんと描くべきことがブレずに伝わるようにまとめあげたところは、上手かったなぁと感心しきりです。

・十臓の闇、薄皮太夫の想い
十臓が丈留との戦いで自滅したシーン、アレは裏正のせいだったのでしょうか…
それとも、不意に十臓の中の人間の部分が呼び覚まされたのでしょうか。
その前に自分と同じだと思っていた丈留がそうではなかったと気付いたこともあり、どちらとも取れるような描写だなぁと感じました。
この世にもあの世にも手ごたえを感じることができない気の毒な男でしたが、不要と切り捨てた家族によって死ぬという、何とも言えない最期でした。
結局十臓は飢えを癒すことなく死んでいったんですよね。太夫とは対照的な最期でした。
最初から最期まで、外道衆よりも一番非人間的だったキャラなのかもしれません。

薄皮太夫はずっと新佐に執着していましたが、ドウコクが三味線を直し「外道は外道として生きるしかない」と諭した時点で、自分の存在そのものを吹っ切ることができたんですかね…
彼女の心模様は複雑なので、全部汲み取ることはできなかったんですが、自分の現状を受け入れたことが太夫の救いになったのかなぁ…と思いました。
十臓とは反対に、「何もなくなった」からこそ救われたというのが、太夫の立ち位置だったのかなと。
持っているものをすべて手放して、そこに残ったものを見つめて納得できたから、太夫はあんな風に消えることができたんだろうと思います。
ドウコクに吸収されるシーンは、着ぐるみだけどR-15の雰囲気が出ててよかったですね。
太夫は色気のある着ぐるみだったなぁ。

・ドウコクとシタリ
シタリは不思議なキャラクターでした。
彦馬と同じように、いわば殿であるドウコクを支えながら奮闘する姿は、歴代の敵役でもかなり面倒見のいい参謀役だったのではないでしょうか。
どんな状況下でも生きるという「生への執着」が、シタリの外道としての望みだったのですが、そこはアクマロとの対比になってたんですね。
外道に生まれ終わりを求めたアクマロと、外道に生まれ生に執着するシタリ。
外道にも様々な執着はあるんでしょうが、この二人が同じくドウコクに仕えたというのは不思議なものだと思いました。

ドウコクは、最初から最後まで男前な御大将といった風情を壊すことがなかったのが凄かったですね。
ドウコク自身もある種の矜持を持った侍というべきだったのか…と、最期の最期までシンケンジャーに喰らいつく姿を見て思いました。
部下に対しても結構寛容でしたし、采配は比較的シタリに任せていたりで、大将らしい器の大きさを感じさせるシーンも多かったです。
太夫を吸収したことで封印の文字を破る力を手に入れ、「こりゃもう勝てねえな」と最後まで思わせる強さだったのも良かったですね。
本当に止めを刺すまで息のつけない緊迫感がありました。
倒される過程も、封印の文字→志葉家のディスク×2と段階を踏んだことで、急な弱体化などの違和感がなくてよかったと思います。
しかし、一の目の止めが流ノ介というのはちょっと意外でした。
ここはレッドじゃないの?ってところで、ブルーというのがシンケンジャーらしいな、と思いましたが。

・最期の戦い
巨大戦で、ドウコクが侍覇王の折神たちを吹き飛ばしてシンケンオーで止めの流れ、良かったです。
今までの合体ロボも見せつつ、やはり最後は初代ロボのシンケンオーで〆るところが王道でしたね。
弾き飛ばすというシステムは予想外だったので「なるほど!」と感心しましたw
ダイゴヨウの出番が巨大戦ではなかったのも、流れ的に納得です。
ダイゴヨウはラストで復帰して活躍(?)してたからオッケーオッケーw

・オチの淡白さ
戦いを終えて志葉家を離れる面々、そしてそれを見送る殿…
あっさりしすぎなぐらいあっさりしている最後だなぁ、と感じましたが、一番大きな山場を乗り越えて勝利した彼らには、涙で別れる必要はなかったんですね。
もう涙を乗り越えて、彼らは強くなってるわけですから。
大々的にラストを飾らないことで、この後もシンケンジャーの使命は続くのだろうというのを予感させました。三途の川も無くなってはないですし。
志葉家は続いていくし、それぞれのつながりは無くなることはない。
だからこそここにとどまらずにそれぞれの道を進んでいくというのが、寂しくもあり、さわやかでもある最後でした。
しかしカルチャー教室…お料理する殿がちょっと見たいかもしれないw
あと源太はやっぱフランスの前に寿司屋に弟子入りするべきじゃないかな(酷

・オマケ:作品の楽しみ方
今回シンケンジャーを見ていて感じたんですが、宇都宮Pの作品は至極冷静に楽しめるんだということに気づきました。
井上敏樹の脚本は私、溺れてしまって冷静に判断がつかないんですよね。
男に溺れてる状態並に脚本に溺れてしまうので、もうアップアップしながら見てるわけですよ。いや男には溺れたことありませんけど。
登場人物の感情と自分の感情をリンクさせすぎて、ある種自失の状態に陥ってしまう部分があります。
でも、宇都宮Pの作品は心に響くけど、溺れずにエンターテイメントを楽しめてると思うんですよね。
考察することの楽しさというか、理論立てて考えていくことの面白さ、訴えかけていることをどう解釈し、何を受け取るかというのを冷静に、でもものすごく楽しく感じ取れるというか。シンケンジャーはそこをすごく感じていました。
設定とか脚本とかがいかに練られているかということをヒシヒシと感じ取れたというべきでしょうか…
理知的な、でも感情の高ぶりを感じられるといった風情があり面白かったです。
なんか比較対象がPと脚本でちぐはぐなのが申し訳ないんですけど、傾向的にそう感じるということでお許しください。小林脚本と井上脚本の比較とはちょっと違う気がしてテヘペロ☆


シンケンジャーは常に構成の妙に唸っていましたね。
作品は大抵加点・減点でバランスを見て評価しているので、手放しで作品を褒めることはあまりないのですが、シンケンジャーはほぼ減点がありませんでした。
マイナスになりうる点も、上手くプラスに変えていた作品だったかなと思います。
一気に見たせいで粗が見えてない可能性もありますが…
毎回感想を書かないからこそできた考察もありましたし、実に楽しく見れました。良かったです!

それではこれにて、シンケンジャー感想は一件落着。
Vシネとディケイド合作はまた、のちほど。

次はゴセイ…と見せかけてゴーオンかな!!武上コンプ目指して。