続くのかよ!!!(「M」視聴後心の叫び)

色んな意味で新機軸なライダーでした。
人食いとかグロテスク表現に目が行きがちですが、描いていたテーマは考えさせられるものだったと思います。

こういう方向性で視聴者を切り分けるというのも一つの方法かなぁ…と思いました。
次この枠でやるんなら、井上呼んでいいよ!こいよ!!

<続く>
しばらく悩んでいましたが、完結ぎりぎり直前にAmazonプライムに入って観ました!
二期はあと1年後と聞いて愕然としましたが…w
早く作って!制作陣!!

・視聴前
「おや やせいの アマゾン が とびだしてきたぞ!」
「いけ! オメガ! だいせつだん!」

「野性のアマゾン」「養殖のアマゾン」という字面には、某カーレンジャーの「野性の車」と同じにおいを感じましたが、そんなことはありませんでした。
なんだよめっちゃハードやんけ!

・全体評
久しぶりにシリアスで販促縛りの少ないライダーでうれしかった。ドラマ重視、いいね!
クウガアギトあたりのグロ描写路線も取り込みつつ、今までになかった人間じゃないライダーっていうのも良かった(これについてはおまけで後述)
元ネタのアマゾン自体が本能的で野性的な戦闘描写、人間社会に馴染み薄い主人公っていう要素だったけど、それをもう一つ進化させた形で描いているというのは、元ネタが持っていた要素の可能性を広げていて良かったと思う。
要素的な面で見ると、結構アマゾンリスペクトしてるよね。
あと、アマゾンのマスクデザインが本当に秀逸なんだっていうのが今回で分かったw
まったく古めかしさを感じさせない、斬新なデザインだったんだなぁ。
全体的に555とかキバを思いおこさせるものがあったように思う。
人間の脅威であることは間違いないアマゾンたち。でも彼らは彼らで生きようとしているだけ。はたして人間だけが正義なのか?コンクリートジャングルの中でアマゾンズを狩る人間にあるのは正義か、はたまた…、みたいな、平成初期の白倉っぽいテーマが垣間見えた。
モブ死解禁だけでも描けることはだいぶ違ってくるよなーっていう、ネット配信という形式ならではの可能性を感じました。
今のニチアサでやられたら流石に重いけど、ネット/深夜枠ではこういうのバンバンやってほしいわ!
でも販促縛りに慣れきった身としては、ドラマ8販促2ぐらいのバランスが一番いい気がしている(龍騎555ぐらいの感じ)
アマゾンズは基本ドラマ9.5販促0.5だから、そういう意味では微妙に物足りなさも感じたり。
ヒーローの強みである「なりきり」の楽しみという部分はやや欠けている気はするかな。

・仁さんと悠
まず仁さんが55Vのナガレだったっていうのを、半分ぐらい見たあたりで知って驚愕を覚えたんですがそれは。
ええ…面影無いやん…(困惑)
色んな意味で衝撃的すぎる…ナガレ…すっかり変わって…w
「自分で取ったものしか食べない」って言ってたけど、それが仁さんのケジメでもあるんだろうな。
遠回しに「人は食わない・殺さない」って言ってるようなもんだし。
飄々と人を食ったような態度を見せてるけど、アマゾンの生みの親として、誰よりもその脅威を感じているからこそ容赦なく戦っているというのがカッコよかった。
行動原理がものすごくわかりやすいところも魅力の一つかもしれない。
「アマゾンをすべて殺す」っていうのに自分が含まれているのもいいよね。
ある意味暴力的にすら思える「皆殺し」の信念は、555の草加の描かれ方に微妙に通じるものがあったように思う。
人間側からすれば正論で正義でしかない。でもそれが共感を受けてしまうと物語が成立しない。だから、あえて損な役回りを持たせているようにも思った。
最終回のアマゾンの集落のシーンなんて、正直仁さん以外正気の沙汰じゃなかったと思うんだけどw
なんか仁さんが悪者テイストで放逐されてる感あって悲C。
私はどっちかっていうと仁さんの意見には賛成なんだけどなぁ。いや野座間の上層部は腹立つけどさ!

悠はな~、見てて滅茶苦茶イラついてました。こいつマジふざけんなし!的な。
というのも、悠の行動規範が滅茶苦茶だから。
「守りたいものは守る」っていう彼の言葉通り、確かに守りたいものは守ってるんですけどね。そこにものすごく傲慢さを感じるというか。
力を持ったが故に生殺与奪権を握ったも同然の状態で、確固たる信念を持って動いていないという不安定さがいら立ちの原因なんだろうと思います。
仁さんが「アマゾンは皆殺し」っていう明確な理由があるのに対して、悠の戦う理由ってぼんやりしすぎなんですよね。
100%アマゾンたちの味方でもなければ、人間の味方でもない。
何かのきっかけで悠が弱者とみればそいつの味方になるけど、弱者だったものが強者になった瞬間に、悠は強者を排除するっていう選択肢を取るっていうのがね…
同様に555の木場さんなんかもそんな感じでしたが、彼にはそうなっても仕方ないと思えるバックボーンがあったのと、一応オルフェノクの仲間であるってスタンスは持ってたので理解はできたんですけどね…
悠にはバックボーンがないせいか、思いつきで行動してるようにしか思えない。
だからなんだかイラついてしまうんだと思います。
まあそれがある意味脚本の狙いでもあるわけで、これから彼がどうなるのか?というのが非常に気になるところですね。
二期があるとのことですが、果たして悠が主役なんでしょうか?
「宣言する、僕が王だ」みたいな、木場じゃなくてキバな展開しか今のところ思いつかないんですけど。(木場でもあながち間違ってない)

・白と黒
アマゾンズの観方って、視点を変えるだけで180度違う物語になるのではと思う。
人間側の視点で見ると、私が言うように悠にイラつく展開になるし、アマゾン側で見れば仁や水澤母にイラつく展開になる。
どっちに感情移入するかで全然違ってくるのは、アマゾンが人工生命体だからかなと思います。
例えば、ファンガイアも人間ではない存在でしたが、彼らはもともと繁栄していた「種族」としての歴史や文化を持っていたので、人間と対立したとしても彼らなりに積み上げられた主張があるっていうのは認めざるを得ない部分だと思うんですよ。
だから彼らとはお互いテリトリーを守って共存共栄していきましょうね、ってオチが使える。
でも、アマゾンたちは新造された人工生物で、彼らが持っているのは独自の美学や文化じゃなく食欲だけだというのが、「虫」として駆除されても仕方ないという側面を際立たせていると思います。
ライオンとシマウマが同じ檻に居られないように、人間からすればアマゾンたちは共存共栄できる相手じゃないんですよね。
一方で、身勝手な研究や欲望で作り上げられ、野に放たれたアマゾンたちにしてみれば、生きていることに違いはないし、本能に従うことが悪と決めつけられるのは理解できない。
だから自分たちを勝手に産んで殺そうとする人間たちに反抗心を抱くというのは至極普通に感じます。あと平穏に生を全うしたいと願うことも。
人間とアマゾンズは、絶対に相容れない存在が故にお互いの主張がぶつかり合う。
視聴者がどちらかの視点を持つかによって、作品に対する感想が全く異なってくるのではないかと思いました。
最終回におけるマモルに対する駆除班メンバーの気持ちっていうのもすごく複雑で、自分は彼らに共感できるか否かという部分も、答えは出ないにしても、考える事に意味があるのではないでしょうか。

・駆除班の皆さん
「金で虫を駆除する」ってスタンスを固持しようとする姿が逆に人間臭かったな。
死線を超えた仲間同士には信頼があるし、マモルとの間には人間とアマゾンの種族を超えた絆さえある。
でも、そういう絆や信頼は何かあれば揺らぐことが分かっているからこそ、彼らは「金」という解りやすいもののために戦っている。
「金」のためであれば、彼らは命令を遂行するだけの戦士でいられるし、人型の怪人を狩ることに無駄な罪悪感を感じなくて済む。
ある意味では精神安定剤として機能している「金」の描き方が良かったな。
「金」に対しては、無いと生きられない、でもそれだけでは生きられないというのが、最初から最後までで貫かれていたように思う。

「俺たちは正義の味方になっちゃいけない」という言葉は、アマゾンたちに対して正義のために断罪するというポジションを持つことがいかに危険かというのをよく表してる。
アマゾンズの世界観では何が正義か、誰が正義かまったくわからない。視点によって180度変わってくるものだ。
だから、戦う理由がないなら戦場に出るべきではない、ってことなんだと思う。
もしかすると、それを一番理解しなければならないのは今後の悠なのかもしれないが…

あと、マモルの5円玉をみんなで拾い集めるシーン、どう見ても必殺仕事人でワロタw
殺しの依頼を私情じゃなくて金で解決するってスタンスを崩さないから、仕事人は仕事人でいられるという部分のオマージュなんだろうか。
(そういう回が確かあったはず)

・ヒロインの扱い
靖子名物蚊帳の外感あるよな。最後に出てきたのはガガの腕輪なんだろか。
悠が「人間食ってもええやん!」って言ってた件に関して、とても意気消沈している様子だったけど、2期ではどうかかわってくるのだろうか…
悠を人間として繋ぎ止める鍵なので、美月の動きは重要になってくるんじゃないかなぁ?
1期では存在感が薄すぎてちょっと心配だったんだけど。

・ま た お ま え か !
弓削キター!!!!ライダー関わりすぎwww
スタッフ受けがいいのか単にPや脚本やらとのパイプが太いのか、謎に思うほどに良く出てくるなw
ぶっちゃけどの役よりも、今回の得体のしれない殺人鬼が似合ってたなーというのが私の感想です。
眼光の鋭さが本職さを醸し出すんだよなぁ…w
ところで、あの人がどうなったのかが描かれなかったのは残念でした。通報したのかしら?
あと、タモトくん(フォーゼの蟹)も出てましたが、パッと見気づきませんでした。流石にばばりょーは即効分かったがw
蟹もナガレも今回のイメージが違いすぎて…そういう意味では、全体的に役者をうまく活かしているのかなと思ったり。

・アマゾンシグマ
オメガよりこっちの方がデザインカッコい…ゲフンゲフン
悠のもとの姿のリペらしいのですが、どう考えても野生&ゾンビの方がカッコいい気が…
何だろうオメガは顔がのっぺりしすぎなんじゃないかな。
同じフェイスデザインだといろいろ困るというのでオメガとアルファは違うんだと思いますが、そこは少し残念でした。
アルファのデザインは凄くかっこいいですね!野生感ありすぎ!

・アマゾンたち
デザインが結構好み。でもトンボアマゾンマジゼロノス。
一回ゼロノスだなって思ったらもうゼロノスにしか見えないw(単に配色のせいでむしろドレイクだろという意見は認める)
個人的に今までのライダーの中で一番好きな敵デザインはアギトのアンノウンなのですが、割と生物感あってよかったなと思いました。
モグラがメカメカしいのは駆除用に製作・強化してるとかそういう理由…?
元ネタのモグラ獣人が可愛かったので、そこはちょっと残念。


感想か?って感じの感想ですが、観終わった後ちまちま書いていたのでご了承いただければ。(文体バラバラなのも)
私が仮面ライダーに求めているものとは微妙に違う気もするのですが、これはこれでアリかなと思い、興味深く見ることが出来ました。
今後、どこまで続くかわかりませんが、この作品が提示する結末が楽しみです。



+++おまけ+++

・555、キバと似て非なるもの
それは悠とアマゾンたちの立ち位置、これに尽きる。
いまだ全部のライダーを見たことがないため断言しきれないところもあるが、悠はライダー史上初の人外ライダーではないだろうか。
なお、ここでの「初」というのは主役の視点を持つライダーとしてである。

ライダーの始点は「改造された人間」なので、そもそもライダーになる存在は「人外の力を得た人間」である。
主人公となるライダーはこの流れをくみ、人間でありながら人間以上の力を持った人物が主役となって物語が進んでいく。この流れは初代~アギトまで続く。
そして、ライダーになる存在に「元人間だった人外」が登場する。その代表が555の巧である。
しかしここでも「(元)人間」という構図は崩れない。
そしてさらに新しく「人外と人間のハーフ」が誕生する。その代表はキバの渡だ。
その後も二人で一人のライダー(「人外と人間のハーフ」という意味でキバのパターンに相当)、幽霊(555と相当)と、売り文句を変えつつも、あくまで主役のライダーは「(元)人間」という属性は変わらなかった。
ここでいう「人間」とは、いわゆる一般的な人間社会の倫理観・アイデンティティを持ち、人間に害をなす対象を敵とみなす考え方を持つものである。
上記のような「人外の力を得た人間」「元人間だった人外」「人外と人間のハーフ」は、肉体的特徴は「人外」に属しながらも、精神面は「人間」であるため、行動規範は人間社会の倫理観に準じているといえよう。

しかし、アマゾンズにおける悠は主役としての立ち位置を持ちつつも「人間」ではない。
属性としてはキバと同様に「人外と人間のハーフ」であると最終回にて明かされるが、悠には人間としての実生活が存在せず、人間としてのアイデンティティが形成されていない状態で戦いへと巻き込まれた。
そのためか、戦いの中で彼のアイデンティティは「アマゾン(=人間視点での脅威)」側でも形成され、人間のことを一定度理解しつつも人間を捕食対象とすることについて肯定することとなる。

悠が人間としての確固たるアイデンティティを形成できなかった背景には、水澤家に軟禁状態で他者と交流する機会をほぼ持たなかったことや、2年前からの記憶がないことが大きい。
悠が守るべきと判断している人間は、自身とかかわりのあるものだけに限られており、彼の中で「人間」そのものは価値が低いように見受けられる。
一方でアマゾンとしての食欲や戦闘欲といった衝動は常々感じているという描写があり、自身と同様のアマゾンに対する理解は話が進むほどに深くなっている。
そして彼が完全に自身を「アマゾン」と意識したのは、覚醒していないアマゾンを狩るトラロック作戦を実行すると人間側が決めたためなのだろう。
覚醒していないアマゾンたちとの交流によって、悠にとって覚醒をしていないアマゾンは弱者であり、守るべきものであるという認識が生まれた。
ここで注目すべきは、悠にとって「人を喰う」ということは是非を問う尺度ではないということである。
アマゾンにとっては人間は食糧であり、人間の姿は擬態である。そのため、彼らには人間の倫理観は通用しない。仮に人型のままであったとしても、一度でも人肉を口にしたアマゾンにとって、人間社会にならされていたとしても人間は食料でしかないことが、マモルやその他のアマゾンの様子で語られている。
悠はレストランで、またその後の地下道で覚醒していないアマゾンが人を喰らっていたことを認識するが、そこを非難する描写は見受けられない。それはつまり、悠も「人間=食料」と認識しており、悠にも人間の倫理観は通用しない、ということである。
そのため、「人を喰う」という一点で排除される弱者に対して、また自身と同様に身勝手に作られ消される存在への同情、人間への身勝手さへの怒りなどの感情に従い、悠は最終的にアマゾンを率いる存在へと変化していったといえよう。

上記の点から、アマゾンズにおける悠は、主役でありながら人間としての倫理観を持たない、特殊なライダーであるといえる。
いままでのライダーは皆人間社会の倫理観に基づいて行動していた。
しかし、アマゾンズにおける悠はそれとは別の倫理観を持っている。実際には倫理観が形成途中といったほうが正しいかもしれないが、確実に人間社会の倫理観とは異なるものを形成しつつある。
そういった意味で、悠の存在は今までとは異なる、新しいライダー像といえるのかもしれない。
はたして彼の今後がどのような形で描かれるのか?
「人を喰う」という一線を越えていない悠は、いずれ人喰いとなるのか、はたして本能に逆らう答えを出すのか非常に興味深く、今後の展開を楽しみにしたいと思う。





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