シーズン1、シーズン2を通して総括しました。
作品の完成度は素晴らしかった!
なんだかんだ言ってますが、個人的に『仮面ライダー』に求めていたものが具現化した作品だったと思います。
こういうシリーズ、スケジュールとかいろいろ大変だと思うけど、ぜひ続けていって欲しい。

作品の感想自体には厳しい意見もありますが、まぁ人それぞれの感じ方ということでご了承ください。

<続く>


・アマゾンズを観終わって
アマゾンズは「懐古主義」というよりは「挑戦的」と表現すべき作品だったと思います。
インターネット配信という、テレビの制約から解き放たれた舞台で何をするべきか、何ができるかを考えた結果の作品だったのではないでしょうか。
途絶えた「仮面ライダー」の歴史を「大人向け特撮」として復興させようとしたクウガの時代を彷彿とさせる、新しい流れの萌芽を感じました。
特撮という表現だからこそできるテーマへの挑戦と、規制からの解放という意味で意義があったのかなと。このあたりは白倉Pのロングインタビューで詳しかったですね。
作品の展開については個人的に賛同しかねる部分があるものの、作品のクオリティは高く、エンタメとして完成度の高いものを観ることができてよかったです。
シーズン3、続くんですかねぇ…?
(でも実は同じテーマだとちょっと飽きが来る気もする...)


・マーケティングで感心した点
予算の獲得の仕方は当然のごとく感心。毎度よく考えるよなぁ。
あと、「1期はテレビ放送が(結果的に)出来たので、2期は絶対にテレビ放送できないものを」というコメントを白倉Pが言っていたと思うのですが、この部分は感心しました。
テレビというメディアで取り込んだ一般層を配信に取り込む、これはオリジナル配信番組として上手いなと。
そのうえ1期で刺激に慣れた視聴者に、さらに刺激を与える展開にすることもできる。
その結果、視聴者数も増え満足度も上がるという、サービス提供側も制作側も視聴者も得をする判断だったと思います。

ただ、私個人は「玩具ありきの販促番組」という制約が特撮番組の持つ面白味の一つだと思っているので、そういう点では物足りませんでした。
玩具をいかにカッコよく魅せるか、購買意欲をかきたてるかという商業的視点と、ヒーローへの憧れの具現化、エンターテイメントとしての完成度を両立させてこそ、特撮番組である意味があるような気がしているので、やっぱり玩具はある程度意識した作りの方が好みではありますね。
平成ライダーの初期ぐらいの配分が好みです。


・シーズン2を振り返って
一言でいうと、「登場人物は泥甘だったけど現実は厳しかった」という物語だったように思います。
正直、千翼絡みは周りの人間が甘すぎると常々イラついていたのですが、人間の甘さ反比例するかのように現実が厳しくて、そういうところでバランスとってるんだなと妙に感心しました。
駆除班メンバーが5年前に犯した罪を今回で改めて体感するあたりは、ちゃんとシーズン1で視聴者が感じたであろう意見も取り込んでてよかったです。
福さんは気の毒でしたが、危険因子を野放しにしておいて自分に害が及ばないと考えていたとしたら能天気すぎるよなと思っていたので、ああいう形で因果が巡ってくるというのは納得でした。
もちろん気の毒ですし、その可能性がなくもないからこそ後悔していたというのは重々承知の上なんですが、それを見通せる状況下にありながら目を閉じたことが罪だったんだろうなと。
基本的に特殊な状況下にいすぎるせいで冷静になれず、つい目の前の対象に入れ込んでしまう結果、最悪の選択肢を選んでる人たちばっかりだったので、大体みんな自分のまいた種でああなってるし仕方ないねと思わなくもなかったです。
以前もコメントで書きましたが、千翼に関わった人々は、問題を直視することを避けた結果、無責任な甘さで問題を看過したように感じました。
まぁそりゃ誰にも責任がないんだから、あえてそれを引き受ける人はいないだろうけど…責任を負おうとしてる仁さんの邪魔をするのはどうだったろうか。
希望的観測で様々見逃したことも多分罪だと思います。だから皆それなりの裁きを受けたということだったんじゃないかなと思いながら最終回を見てました。そう考えると悠は超勝ち組だけどな。
厳しい意見だと思いますが、仮に主要メンバーでない一般市民が事実を知ったらこんな気持ちじゃないですかね…
面白いけどずっと複雑な気持ちで見続けた、それが私のアマゾンズでした。

思い返せば、リアリストは黒崎さんと仁さん(次点・局長)だけだったなぁ…(最後黒崎さんもちょっと日和った?けど)
なんというか、今まで小林靖子作品は「登場キャラが地に足がついてない」と感じていたのですが、その分キツイリアルをぶつけてバランスとってたんですね。今更気づきました。
個人的にはキャラクター自身がリアリスト(であえて享楽主義を気取ってる系)な方が好きなのですが、これに気付けただけでもアマゾンズは見て得した気がします。
今更で申し訳ない。

個人的にアマゾンズで興味深かったのが「マイノリティが如何にして生きるか」という部分でした。
私はマイノリティが自身の存在を主張することは特に問題ないと思いますが、すべて認めて受け入れろという主張には嫌悪感を覚えます。
たとえ多数側でも「相手を受け入れられないと感じる気持ち」は尊重されるべきであって、マイノリティが認められたいあまりそれを無視する行動は逆差別だと感じます。
いずれ両者が理解しえあるとしても、互いに歩み寄れる範囲内で助け合い、理解しあえない部分は不可侵を保つというのが現状では望ましい。
個人的にそういう考えなので、悠が出した答えには賛成だし、マモルが人間に仕掛けたのは愚かだと思いました。
マイノリティが自分たちを守ろうとするなら時間をかけて互いに理解し合わなければ無理なんですよね。
急進的に融和しようとしたところで絶対衝突しますし、逆に対立が深まります。表面的に理解が進んだと思っても、根底では拒絶が残ったままだと思います。
「在ることが自然」なレベルまで時間をかけて馴染ませない限り、完全なる融和はないと私は考えています。
マモルは自分たちが仕掛けたことで、仲間を失い再起の目を断たれてしまいますが、それはある意味因果応報なんですよね。
相手(人間側)の意思を尊重せず、無理やりに状況を改善しようとした結果そうなっているので、マモルの選択肢は拙かったと思います。
マモルたちにとって一番良かったのは、プロ市民に協力を仰ぐことだったんですかねぇ…?
でもアマゾン体の危険性が公表されている状態なので、なかなかそういう方面(人権的な)からもアクションを起こすのが難しかったかもしれませんが…
「人を食べないなら共存できる!アマゾン体を守ろう!」みたいな、共存可能なラインを提示して同情を買えば、何とかいけたかも?
ただ、その方法は自らが多数派より下位にいるということを示さねばならず、プライドを捨てるということを意味しているので、長期的に見て数を増やせないならば選びにくい選択でしょうか…
結果的に逃亡した実験体は全員死亡しましたが、人にもアマゾンにもなれない以上、それが彼らにとって一番幸せな終わり方だったのかもしれません。
ちなみにこのあたりのマイノリティの生き残り方法については、「ナイルなトトメス」最終話付近が強烈に皮肉ってて笑いました。
浦沢義雄は喜劇というよりむしろ風刺が面白い。さすが俺たちの浦沢だぜ!


・千翼に罪はあったか
千翼の罪は、キリスト教でいうところの原罪的なものだったんですかね?
最終回「俺が悪い」といった千翼を制した仁さんの「俺が悪い」という台詞に表れているように、こうなった元をたどっていけば、多分野座間の会長が悪いんですよね。
千翼自体には罪はないのはわかっているのですが、今の世の中で生きていくには制御しきれない状態で生まれてしまったという不運を嘆くしかないよなと思ってました。
千翼個人はきっと悪くない。でも今の世の中では生きられない/生きていてはいけない。
作中の人物はこのどちらかのスタンスで千翼と対峙しますが、「千翼個人は悪くない」と思った人々が銃を置いたんでしょうね。
ただ、千翼は生きたいと願ったけど叶わなかった。それは、千尋が世界に拒絶される存在だったからともいえ、世界にとって脅威になるなら淘汰されても仕方ないという「流れ」(世界の意思的な?)のようなものだったんじゃないかと思います。
会長が言う「アマゾンは人間に早すぎた」がまさにそれ。
本人はそんなつもりがないのに気の毒だよなと思いますが、かといってどうしようもないし…
いつかその「流れ」が来たら、第二の千翼が生き続けられる世の中になるのかもしれません。


・イユは二度死ぬ
イユは二度にわたり間接的に千翼に殺されてるよなぁと思ってしまい、最終回あたり複雑な気持ちで見ていました。
一度目は父親に、そして二度目は記憶が戻って「自分が死んだ記憶」がよみがえったときに。
千尋によって、イユは一時的にでも自我のようなものを抱きますが、それは「幸せ」だったと言えるのでしょうか。
イユが言った「幸せ」という言葉は過去の幸せだった当時が想起された結果にほかならず、今千翼といるその時間が幸せか否かというのは別なのではないか?と思えて仕方ありませんでした。
4Cがイユ自身の希望を無視して仮に蘇生させたことも、千翼がイユ自身が望まないのに自我を求めたことも、彼らの独善でしかなく、やはり彼女は静かに眠らせてあげた方が良かったんじゃないかなと…
私にはどうしても、千翼が自己肯定するためにイユに依存していたようにしか見えず、千翼の執着に違和感を感じていました。
そう思うのも、千尋がイユに自我を求めすぎたからかもしれません。
イユは死んだ人形だからこそ痛みや過去に耐えることができるのに、千翼は彼女が自我が戻った時にどうなるかということを考えもせず、イユに自我を求めていたように感じます。
逆にいうと、千尋は捕食対象ではない人間が、自我を持った普通の人間であってほしいと思っていたのでしょうか。
千翼には、イユが自我を取り戻すことが果たして彼女の幸せなのか、という点への視点が欠落していたのではないかと感じたのが、複雑な気持ちになった一因なのかもしれません。
もちろん千翼がイユという「捕食対象ではない人間」に出会うことによって、自身の呪われた運命から解放されると希望を抱いたことも理解できますし、イユの存在が千翼を変えた結果、あのラストを迎えることができたんだろうと思います。
でもいかんせん、千尋は幼すぎた。
彼がもっと成熟していたとしたら、もっと別の方法があったのかもしれないですね。


・『仮面ライダー』の看板に求めるもの
この作品を見てよかったなと思ったのは、作品を通して「考える機会」を得られたということでしょうか。
登場人物の心情を感じながら、様々な視点から物語を考えることができる。
そういうものが求めているものだったなと改めて思いました。

特撮番組に求めるものは人それぞれだと思いますが、私個人は普通のドラマでは描けない、人間たる精神の崇高さやその反対の面、極限状態での生殺与奪、異形を描くことでの暗喩など、特殊な状況下だからこそ描けるものを求めています。
ヒーローものという縛りで考えると、善と悪という一元的な視点で考えがちですが、『仮面ライダー』というコンテンツは元々がそんなに分かり易い起点じゃない。
だから多角的に社会の問題を暗喩という形で切り込んでいけるし、正義と悪の境界があいまいで正解がないからリアルを形作れる。
互いに信念があるから衝突した結果ドラマが生まれ、その中心にいないその他大勢には忘れ去られた世界で完結する。
そして激しい戦いがあったにもかかわらず、社会が大きく変化しない無常感が漂う。
そういうのがなんかライダーのイメージだったので、アマゾンズは良くも悪くもイメージに近い作品だったのではないかと思います。
そんな枠組みの中で、物語の駒として使われるのではなく、一個人としてキャラクターが描かれたことで、個人を通して、または物語を俯瞰して、色々な物事を考える機会を得られた。
そういう意味で、私が思う『仮面ライダー』らしい作品だったと言えるかもしれません。



色々と思うところがあるせいか的を射てすらいないかもしれないですが、とりあえずの感想としてまとめたいと思います。
他にもいろいろ書きたくはあるけど、とんでもなく長くなるし…気が向いたら5年後組もまとめたい。
こういう長ったらしい感想っていい加減人間として面倒くさすぎるなと思いつつ、考えを整理するという行為はやはり楽しいです。
そして色々な感想が湧き出る作品に触れられるのはとても嬉しいですね。

シーズン2まで追いかけられて良かったです。観ている側の感情がどこにあるかで、様々な見方ができる作品でした。
こういうシリーズ、ニチアサ枠とは別に今後も取り組んでいってほしいものですね。





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