最後のアラン様の演説で号泣した。

仮面ライダーゴーストが伝えたかったこと、描き切れなかったことが詰まった作品だったと思います。
後日談として凄く満足のいくものでした。良かったです!

<続く>

本当は小説まで読んで初めて簡潔だと思うのですが、とりあえずざっくりと。

・後日談
テレビメンバーフルラインナップの登場は草(でも仙人は出ない)
高岩さんも出てくるの割とびっくりだった。ジャイロ~!
イゴールがアカリのドM犬になってるのホント笑うwwwクセが強いwww
ここでの御成の設定、ちゃんと後の映画にも受け継がれてるんですよね。
個人的にはジャベルの坊主っぷりと、似つかわしくない胸毛の量にフフッってなってしまいました。和服から除く胸毛…タクマシィ…
全員それなりに過ごしてるのいいですよね。

・クローンマコトの謎
テレビ本編に出てきた「マコト兄ちゃんがいっぱいだぁ~!」の真相が明らかに!!!
ラスト、死んだマコトに命を与えたクローンマコト、アレはご都合主義じゃなくてちゃんとした設定上「あり得ることだった」っていうのが衝撃でした。
覚醒したマコトは、死なないわけじゃないけど、本来はスペアのある死なない身体だったということかな。覚醒したら死なないらしいが。
完全なるデザイナーベイビーとして生まれたマコトと、ほぼ完成されながらも不完全な命をもって生まれたカノン。
自分の存在に悩むマコトが、父の存在を乗り越え、「自分が何者であるか」を獲得するまでの物語がRE:BIRTHの主要な内容ですが、作られた命でも自然に生まれた命でも、考えるものとして自分がそこにいれば、それは自分なのだという確証を得て終わったのが良かったです。
「我思う故に我在り」という、思考こそが命と言ったらいいんでしょうか、ラストでまさかのOP曲タイトル回収は感動でした。
OPの歌詞もRE:BIRTHで思い返しても何らブレないあたりは、根っこがしっかり作られていたってことなんでしょうね。
肉体的なものに命を求めるのではなく、より深い精神性に命を求めるという考え方は、ゴースト全編を通して描かれていたものだったので、その象徴としてマコトの存在を描いていたのが良かったです。

・命とは
ゴーストという作品自体が「命」というものに対して哲学的な姿勢をとっていたと私は思っています。
ゴーストの世界って死んだり生き返ったりと忙しいのですが、実質的には「無限に生きること」ではなくて「人の命は有限だからこそ、無限に可能性を秘めている」ということを伝えたかったんだと思うんですよね。
命に対して、タケルが英雄たちとの交流、父の魂から学んだように「一見有限に見える命は、繋がっていくことで無限となる=有限である命だからこそ無限を手に入れることができる」という、ものすごく前向きな向き合い方をしていたように思います。
タケルは「有限」から外れた存在として、同じく「有限」から外れた眼魔世界の住民たちと戦うことになりますが、結果的に眼魔世界の住民も「無限」から「有限」に引き戻されます。
それはある意味、終わることのない倦んだ世界からの解放ともいえ、死が無いことで得ていた無限の時を失った代わりに、有限である命をどう生きるかの選択肢を得たといえるのではないでしょうか。
そこで彼らがどう生きるかの指標を示したのが、今回のRE:BIRTHの物語だったと思います。

RE:BIRTHで語られたのは、「無限」の代償に様々なものを失っていた世界を変えようとするアランの姿と、「有限」「無限」のどちらの世界にも存在しないマコトの苦悩でした。
アランが最後の演説で民に訴えかけたことこそ、ゴーストという作品が一年間をかけて伝えたかったことの一つでもあると感じました。
アランは無限に続く世界から、死のある不便な肉体を持つ世界に放り出されたとき、そこに喜びを見出したと語っています。
不便で不具合の多い肉体のある生き方が、何にも代えがたい喜びを得る生き方にもなるのだと、アランは身をもって感じていたんですね。
死のない世界は、いいかえれば何も変わらない世界。そこから離れて初めて、「有限」にある価値を見出せたという意味で、アランは作品における肉体を持つ世界の価値を最も端的に理解した人物だったのかもしれません。
そして、マコトは自分の出自が有限であり無限にある、ある意味自然に生きることから切り離された存在であることを知ります。
己の出自に絶望し、友を手にかけたうえに誤った選択をしたマコトは、自身の罪と向き合い生きていくことを選びました。
生きる道を見失いかけた彼を救ったのは妹・カノンの「私は私」という一言。
出自はどうあれ、マコトはそこに存在している。それこそが唯一の絶対であるということ。
そしてマコトは、己を形作った3人の父の想いを胸に生きることを決めます。己の心は決して誰かのものではなく、数々の人とのつながりで得たものだという確信をもって。
そこには、肉体ではなく精神性にこそ命を求めた、ゴーストという作品の一面が現れていたように思います。

RE:BIRTHでは、本編で描くことができなかった眼魔界の暗黒面や人造人間の是非、より現実味のある生と死を描いていましたが、ゴーストが本質的に内包していたテーマには「死への恐怖や悲しみにいかに向き合うか」というものがあり、前述の命への前向きな姿勢とは真逆の答えを出していたのが眼魔界だったんですよね。
死なない世界はいわば恐怖や悲しみからの逃亡であり、それはアドニスがあまりに死に対して深い絶望を覚えた故にグレートアイの力を借りて実現したディストピアだったわけで。
それに対して「死は誰にでも訪れる。それ故に死に至るまでの経緯こそ大切にすべきだ」と死と向き合うことで、理想郷には程遠くても理想を夢見られる世界こそ理想、という一つの解答を描いたのだと思います。
一見ダークなテーマを扱っているようでいて、その実非常に前向きな姿勢を崩さなかった、人間賛歌的側面を保ち続けたことが、私がゴーストという作品を好きでいられる一つの理由です。

・タケルの役目
今回、タケルは運命的な出会いを経て、命をつなぐ役割を得るわけですね。
タケルについては小説を読んでからのほうがいいとは思うのですが、結果的にタケルが命というものに触れ、その価値を知り、命の等しさを知ったがゆえにその受け皿の大きさからグレートアイが神を捨てて人になったといえるんでしょうか。
タケルの凄いところは、相手が人間か人造人間か死人とかにかかわりなく、基本普通に接することですよね。
対象をカテゴリに分けて態度に差をつけないし、見下さないし、媚びない。
目の前の命に対して対等に接するという姿勢は、タケルのいいところだよなあと改めて思いました。
タケルの本領発揮は小説版だと思うので、これから読むのが楽しみです(まだ読んでない)


大分ざっくりした感想ですが、シンスペクターがカッコ良かったし、作品自体も凄く良くて感動しました。
久々に「あっ仮面ライダーって面白かったんだな」って思ったというかw
過去の記憶がここに収束してくる感じがあってよかったです。

放送当時、私もゴーストには後半の展開の遅さ、描写の不十分さ等々思うところがあったのですが、それでも作品として訴えたいことはブレずに保ち続けていたところが好きだったし、どのキャラも誰かを想う心があって不快感が無くて良かったし、命に対しての姿勢には共感するところがありました。
個人的にいい作品は「一回見終わってからもう一度見返すと新しい発見がある作品」じゃないかと思うのですが、ゴーストは小説まできちんと読み終わってから見直すと、新しい発見がありそうな作品だと思います。

少なくとも、『仮面ライダーゴースト』は、私にとって私が思う仮面ライダーの本質をもった作品でした。
アマゾンプライムで絶賛放送中(2018.10/21現在)なので、ぜひご覧ください!