祝え!!最高最善の魔王、オーマジオウによる、新たなる時代の創造を!!!

我が魔王の旅は終わった…しかし、新たなる旅が幕を開ける。
まごうことなき運命の子。
彼が新たな運命で王の道を見出すのは、もう少し先のお話…

<続く>

・ツクヨミの裏切り
ツクヨミ変身したァァァァァ!!!からの裏切ったァァァァァ!!!という斬新すぎる展開。ダディもびっくりだ!
めっちゃ高笑いするス氏が面白くて、ヨコハマタイヤの顔と一致って言われてて笑うしかなかったw確かに顔一緒や!
しかしこれまであれほど抵抗していた妹で記憶も完全に戻っていないにもかかわらず、仮面ライダーになった途端に協力するって言いだしたのにはさすがに疑いを持てよと言わざるを得ない。
まぁそういうご都合主義的思考というか、「自分は選ばれたものだから都合よく物事が進むはず」みたいな思い込みが、スウォルツの慢心による破滅を招いたともいえるのかもしれない。
あの状態になってすらツクヨミ>>>スウォルツのパワーなのは変わりないし、そもそも世界に選ばれたのがツクヨミだからライダーになったというのに…(スウォルツのはあくまで借りた力で正式なライダーじゃないから世界の破滅を止められない)
スウォルツは最後まで、現実に目を向けられなかったんだなぁ。

・橋渡し作戦
作戦の内容が壮大すぎるw
あの時点で世に存在してたのは「ソウゴの世界(他ライダーの世界と統合された世界)」と「アルピナの世界(滅びかけだがツクヨミのライダー化で持ち直す)」だけなんだね。
だからこそ橋渡しであっちの世界に~って流れなんだろうが、ちょっとだけクライシスがもくろんでいた内容にも似ている。一部RXの最終章を意識した部分はありそう。
結局ツクヨミが裏切ったのは、士の作戦だとソウゴは今の世界にとどまらなければならず、新しい世界には行けないというのに気づいたからなんでしょうか。
それよりは兄を倒し、この現象を止めることが優先だとして裏切った(ふりをした)
そういえばウォズの立ち位置は描かれませんでしたが、彼もソウゴが消えるとしたら、今の世界に残ることを選んでたかもね。

・時計屋ですから
オジサン………!!!
仲間たちが戦う中、最後の晩餐とばかりにオジサンのご飯を食べるソウゴ。
ジオウという作品にとって、この食卓のシーンは数多くのドラマを生み出してきた場所でもありましたね。
出会いと別れ、苦悩と成長、そして団らん。
その食卓で、オジサンがソウゴの覚悟を感じ取ったのは当然だったのかもしれません。
死地へと赴かんとするソウゴに、オジサンが直したライドウォッチを差し出したシーンはやってくれたな!って思いました。
流石デンライナーすら修理できるオジサン。マジで有能すぎるw
ジオウ2では「壊れていなかった」ために直せなかったライドウォッチでしたが、今回は逆に「壊れていたから」直せたというのもポイント高かったです。
ジオウ2をウォズが差し出したことが、こんなところにつながることになろうとは…
ジオウの物語は、ゲイツやツクヨミらとの交流からソウゴが成長する姿が主軸となっていましたが、もう一つの軸として、順一郎さんとソウゴの義理の親子関係の変化もまた描かれていたと思います。
両親を失ったソウゴとの距離をはかりあぐねながらも疑似的親子として成長を見守ってきた順一郎さん。
オジサンがソウゴを支えながら、時に優しく、そして時に厳しくソウゴを励ますことで、ソウゴは失った「家族」を取り戻したんだと思います。
「晩御飯のリクエスト聞いといて」と送り出すオジサンの姿は、すべてを受け止め、孤独なライダーたちの宿り木となる大きな存在である「おやっさん」そのものでしたね。
生瀬さんの演技もとても良かったです。平成仮面ライダーの最後に花を添えてくれて、本当にありがとうございました。

・王と王
グランドジオウのフル尺変身キター!!拝みたい…!
本当に改めてみなくてもザ・仏壇というデザインは、ある意味ディケイドの「遺影」から、よりシンボリックな「仏壇」という形で記念碑として完成されたデザインだったんですねぇ。
しかし、Aディケイドが呼び出した敵のクラスに対して、パインアームズで戦わざるを得ない鎧武には同情を禁じ得ません。
ライダーに呼び出しコストがかかるにしても、もう少し…もう少しなんとかなりませんでしたか…?
それにしたってAディケイドが呼び出したダークライダーが揃うと、そりゃ世界破滅するよなって思いますよね。ヤベェやつしかいねぇw

・怒りと悲しみの魔王
ゲイツ…!お前…!!
最初はジオウを倒すと息巻いていた彼も、いつの間にやら「お前が魔王になるなら俺が斃す!」と言い出し、「こいつは魔王にならない」と言ったかと思いきや、「オーマジオウになれ…」と言い出す始末。
全くコロコロ意見の変わるやつだと思いながらも、その変化が彼自身のソウゴへの信頼の変化だったんだなぁとしみじみしました。
今のゲイツにとっては、ソウゴは命を賭してでも守るべき存在になっていたんですね。
そしてソウゴにとってもまた、かけがえのない友であったゲイツ。
その死を前にして、ソウゴが偉大なる魔王・オーマジオウへと進化したのは、それまで敵でさえも許す大きな心を持った王であるソウゴが、真の悪に対しては裁きを下すことを厭わない、正真正銘の王として成長したという証なのかもしれません。
オーマジオウとなったソウゴの口調からは、2068年の魔王の片鱗が見えましたね。
本当に2068年はソウゴのもう一つの可能性であるソウゴ自身だったとは…
それにしても、禍々しく強大な力を感じさせる変身シーンは、かつてない力を感じさせるシーンでした。これは勝てない。っていうかスペックがディケイド激情体を超えるライダーがやっと出てきた感?
しかし、ゲイツが秋山蓮ポイントを溜めすぎて、本家の「かばわれて死ぬ」より一段上の「かばって死ぬ」カードを手に入れた旨話題になってて笑ったw
確かに、秋山蓮ができなかったことをやってのけたな。

・祝え…祝えと言っている!!
ウォズもびっくり☆彡
ソウゴ君の魔王感が凄い。祝ってもらわなければ、冷静になれなかったってのがあるのかもなぁ…怒りのピークは6秒だとかいうし…(もう変身で6秒たってるけど)

・ディケイドは二度死ぬ
…ならぬ、ディケイドは白い女性ライダーに刺されるジンクスが再び!(そんなジンクスはない)
スウォルツのたくらみが「ソウゴをオーマジオウにして、そのパワーを奪い、自分が王になる」というとことん他人任せな作戦だったのが、王の器じゃないことを意識させるものでしたねぇ。
結局スウォルツごときでは歴代ライダーの力そのものを操ることなどできず、圧倒的パワーの前に逃げるしかないというのがショボ過ぎてびっくりしました。歴代ボスの中でも圧倒的小物感!!
そして最期は妹に刺され、王の器ではないと断定されて死んでいくというお粗末なものでした。
裏切り者という汚名をかぶり、自身も自分の世界をも消滅したとしても、自らの一族が招いた悲劇をその手で終わらせる覚悟という点では、妹の度量にわずかながらも及ばなかったスウォルツ。
アルピナが王として選ばれたのもさもありなんという結末でしたね。
当初こそ立ち位置が不明瞭だったツクヨミですが、もう一人の王として、ツクヨミの活躍も目覚ましかったです。

・最高最善の王として
「若き日の私」に度々助言をしつつはっぱをかけてきた2068年の「私」は、ツクヨミとゲイツを失い、絶望のうちに孤独となり、2068年に再びゲイツらと出会うことをよすがに生き続けた、ソウゴのもう一つの姿だったのでしょうか。
未来の魔王が介入することで、ちょっとずつ変わった歴史。自身が得ることのできなかったものを得ることができた歴史。
それが今のソウゴの歴史であって、未来の魔王は自分が消滅することを望んでいたのかもしれません。
自分ではない「若き日の私」に魔王が託した願いを知ってか知らずか、ソウゴは世界を破壊し、新たな世界を創造することを決めます。
その世界ではソウゴは王様になれるかどうかわからない…けど、王様になれる可能性は消えない世界。友とともに王様を目指せる世界こそが、2068年のソウゴも望んでいた世界なのかもしれませんね。

オーマジオウの能力、「破壊し、創造する」それは平成仮面ライダーの歴史そのものでした。
「仮面ライダー」と謳いながらも、その歴史は「仮面ライダー」を毎度破壊しにかかっていて、壊れたその先に見つけたパーツで新しいライダー像を作り上げていました。
未来の魔王の歴史は、もしかすると、「仮面ライダー」という存在が破壊し、想像しなくなった世界の暗喩なのかもしれません。
荒涼とした大地は、人々から忘れ去られたライダーの歴史。そこにはライダーは存在せず、ただ一人、過去を覚えている老兵がたたずむのみ…
しかしジオウによって一度総て振り返られた「平成仮面ライダー」の歴史は、再び人々の中で息づき始め、過去の物から今を生きるものへと変化を遂げました。
だからこそ、あの荒涼とした大地は姿を消し、歴史を懐かしむオーマジオウという存在も消えたということなのかもしれません。

・ディケイドの世界
世界の終末を士とランデブーすることに最大級のお宝を感じているHENTAIはどこですか???
結局海東さんも全く10年前と変わってなくて面白かったですねw相変わらずのヤンデレホモっぷりw
そして士は、10年前に無しえなかった「破壊と創造」の役割をジオウに託し、さらなる旅を続けていくようです。
まさか当初はこんなにディケイドが重要なポジションに居座るとは思いませんでした。
でも、同じ時を駆ける破壊と創造の戦士として、ジオウを導くのは必然だったんでしょうね。
中途半端に終わってしまったテレビ本編を取り戻すかのように活躍したディケイドとディエンド。
彼らの活躍もまた、平成という時を私たちに刻み込むものでした。

・新しい世界
学園物ハジマター―――――!!
「この時代はすでに俺たちの時代」といったゲイツたちの意思を尊重した学園ものにクラスチェンジw
1話を再現しつつのゲイツの登場は、お約束だけどちょっとウルっと来るw
ツクヨミマジつえぇ!と思ったけど、現代での名前は何なんだろうね?
ウールもオーラも一生徒としてソウゴの世界で暮らすことができたのは、ソウゴの優しさなんだろうな…
ソウゴは王であることを捨てて、再び「普通の高校生」として王様を目指すことを決めたんですね…立派だ…
その一方で、歴史の守り人として誰からも忘れられた存在となったウォズ。
しかし彼にももうなぞるべき歴史書はないわけで、これからソウゴと出会い、彼が王となる成長を見守る役目があるのかもしれない。
「仮面ライダージオウ」として、普通の高校生・常盤ソウゴが目覚めていくのはまだこれから…
あたらしい物語で、彼らの別の成長を見ることができるかもしれませんね。

・公式:オーマジオウは墓守である
「これは私の記録であり、平成仮面ライダーへの弔辞である」
実は私は映画の感想の一文目にこんな文章を書いていました。
自分と平成ライダーとの出会いを振り返る章ごと消してしまったので結局使いませんでしたが、はからずも「オーマジオウ」の存在そのものが墓守であるとしたら、私の感じた「弔辞」というのはあながち間違っていなかったのかもしれません。
平成ライダーをすべて肯定し、そしてそれを過去のものにすること。
それがジオウの役割だったとしたら、彼らが紡いできた物語は、まさに人々の心に平成ライダーたちの思い出を「記念碑」として再び刻み込むことよりほか無かったのではないでしょうか。
そしてジオウは新たに20番目の記念碑を建て、一つの時代を終えるとともに、次の世代への希望を託す作品だったのでしょう。
最終回を迎えたあと、この文章に足りないものがわかった気がします。
「この物語は平成仮面ライダーへの弔辞であり、新たなるライダーへの祝辞である」
だからこそオーマジオウは存在そのものが平成ライダーの仏壇であり、それらを祝福する一面を持っていたのかもしれません。
ジオウは、平成ライダーの歴史を悼み弔い、記憶に刻むとともに、その歴史が未来へと続くことを祈る作品だったんですね。


終わってしまいましたジオウ。
最初こそ大丈夫かと不安しかなかったジオウですが、回を重ねるにつれてソウゴたちの成長を見守っている自分がいました。
周年記念作であり、様々なレジェンドゲストとともに彩られた作品ですが、「平成」という時代をまとめたいい作品だったと思います。
無理を通せば道理が引っ込むと言わんばかりの元号の私物化とか、タイムパラドック?ねぇよそんなもん!といわんばかりの展開とか色々ありましたけど、毎回毎回予想もつかない展開で楽しかったです。
そして、平成ライダーのメインライダーを数多く演じられてきた高岩さんが、後輩に席を譲ったことも大きな変化でしたね。
これまで数々の素晴らしいアクションを見せてくれた高岩さん。まだまだご活躍とは思いますが、これまで本当にありがとうございました。

これにて私の「平成」はやっと終わりを迎えました。
ありがとうジオウ。そしてこれからも、平成ライダーよ、永遠に。