外見が似ているロボを作るのは禁止というのはわかるけど、あの世界ではイケメン・美人がヒューマギアの肖像権でぼろもうけしてる可能性もあるかもしれないなぁと考えてしまった。
ビッグビジネスチャンス!!

しかし、まったく同じ(ように見える)顔が偶然できてしまうとかはないのかね。
カスタム機能がある以上、似てしまうのは不可避なものだと思うんですが、わからなければギリギリセーフというグレーゾーンなんでしょうか。

<続く>

・もうあいつだけでいいんじゃないかな
単独の声を出すだけじゃなくて、ある程度プログラムされた音声で複数の声を出すならヒューマギアである必要があるのか?という気もしますが、昨今のアイドル売りが基本の声優界では容姿(というかボディ)が必須なのかもしれませんね。
にしてもヒューマギアって単純労働が中心かと思ったらそうでもないのかな…プロデューサーさえいればロボットでも声優にはなれそうだけど。
ここまででこの世界でのヒューマギアの市民権があまりよくわからない。
単に人手不足な作業を任せる事が中心の人型ロボットっぽいけど、一般市民はどういう気持ちでヒューマギアを見てるんだろうか。
人工知能特別法の中身が知りたい…!

・花澤香n…おっと誰か来たようだ
ガエルマギアがアナザーキュアホイップっていわれてるの草。確かにw
セイネの名前が完全に某声優をほうふつとさせるんですが、ファンでもいたんでしょうか。
しかしセイネの謎は容姿が似ている←わかる、声が似ている←わかる、娘の記憶がある←?!って感じでした。
あれは父親が学習させたものなんですかね?家の中ではパパって呼ばせてたっぽいし。メモリーも多数ありそうですし、学習はお手の物でしょうしね。
正直、容姿を似せてもロボと人間の区別は仕様上分かるわけで、どちらかというと人間であった娘の記憶を学習させて人格を寄せることこそが罪なのではないか?という気がしました。
今回法律でそれが制限されているかは触れられていませんでしたが…
身内を亡くした人用の専用のセラピーロボとかならまぁギリギリセーフな気もします。
ただそのせいでアルトが2度も親を亡くしたと考えると、特定個人に人格を似せることは罪深いことなのかもしれませんね。

・親子
急に親子という単語に敏感になる迅。「親子とは?」みたいな部分に疑問をもってからの自我の獲得はやっ!!!って思っちゃったけど、キャラ的には一番成長性がありそうでちょっと面白そう。
「親子」という単語に異常反応したけど、変身後は忘れてたあたり、もしかしたら何度か自我を接続→上書きされてるキャラなのかな?という気もしました。
なるほど、滅はいわゆる毒親なのか…自立しようとする息子を抑圧する父かな?
シンギュラリティ(自我の獲得)をしようとすると滅がプログラムを書き換える、みたいな。
そうだとすると滅は本当に迅を道具としてしか見ていないわけで、迅が自己進化の可能性を秘めながらも進化の芽を摘まれ続けるロボットという関係性なら、今後の展開が楽しみです。
言ってみれば迅は通俗的な倫理観を親から学んでいない子供みたいなもんだし、そこから脱することこそが自我の獲得といえる気がしますし…
あと、アルトの父親ヒューマギアは、死んだ父親の人格を移植したヒューマギアってことだったんですね。人工知能特別法がその時成立していたか否かは不明ですが、少なくとも人格を移植することは実験されていたということでしょうか。

・ファルコンは飛んでいく
まさかの敵の変身アイテム化するファルコンさん。まさか映画がMAXの見せ場だったとは…ご愁傷様です…
OPにも迅が変身して出てきてるし、すぐ戻ってくるようなアイテムじゃないんだろうなぁ。ゼア!スペア作ってあげて!!(作るかもしれんが)
それにしても最近ピンク系のライダー多くなってきたよね。こういうところにもジェンダーフリー的な配慮がなされてるんでしょうか。
まぁ私は10年前のピンク※のライダーが好きなので全然問題ないんですけど(※マゼンダだ)

・俺のザビー返してくれよぉ!!
ユア「ところでライトニングホーネットを見てくれ。こいつをどう思う?」
視聴者「すごく…ザビーです…」
ザビーより一層の蜂感ある。相変わらずバトルシーンはかっけぇな。ちょっと予算が心配になるぐらいにはCGもフル活用してますよね。
ユアにプログライズキーを渡していた謎の男が、どっかで聞いたことある声の気がして気にになるんだけど誰かわからん(というなんとなく目星付きそう感)
ユアの人、もう少し発声がしっかりしてたらなおいいんですけどね…ルパパトのつかさ先輩のドスの効き方が戦う女性っぽさがあって凄く好きだったのですが、それとはまた違った声の魅力を見せてもらえると嬉しいです。

・もうシンギュラってるだろこれ
ラストのイズちゃんもうシンギュラってますよね???
ヒューマギアってどこからどこまでプログラムされてて、どこまでが進化不可の領域で、どこまで学習できるか曖昧なのももやっとする原因なのかもしれん…
人間の見た目なのに道具扱いされてる世界観もなんかもやる。人間だとその個人と全く同一のものが存在しないはずだけど、ヒューマギアは見た目が同じであれば壊れたヒューマギアの代替として機能するっていう表現なのが引っかかるのかな。
一貫ニギローとかだと初代が大将の心を開いたわけで、その特殊性を二代目は引き継げないのに、ニギローならOKというような、初代と二代目の存在がニアイコールとして処理されてしまうことへの感情的な反発というか、ロボットに対しての個性を認めない方法論で展開されていくことに対して、描こうとしていることとの乖離を感じるというか…うまく言えない…
ロボにも心があるように、そのロボを扱う人の心もまた揺れ動くものの気がするんだよなぁ。
代替ロボをすぐ配置することによって、認めるべきはロボットに心が存在することであるのに、人間側によってその心が(存在しているように見えながらも)ないがしろにされてるような気がしてしまうのかも。


実在の人物に似るのがNGなら、外見は特殊性のあるロボっぽさ保っといてもよくない?もしくは全く同じ顔にするか…でも商業的にはカスタマイズ可能というのは売りになるしなぁと複雑な気持ちでした。
ロボットだからこそできること、人間だからこそできること。
今後もっとそういう区別がはっきりしていけば、自我を獲得したヒューマギアたちの異質な存在が際立ってくるかもしれませんね。